第7回
補遺(4) 村松 孫平
特種東海製紙㈱常任監査役 三谷充弘(高26回)
村松孫平
大倉喜八郎
飯田銀行:飯田市場 村松孫平家 の南西角に設けられた
補遺を終えるにあたって、冀北学舎と私の現在の勤務先である特種東海製紙㈱の関係について触れておきたい。
特種東海製紙の2つのルーツの1つが明治40年(1907年)に大倉喜八郎(大倉財閥の創業者)が設立した東海紙料㈱(昭和26年に東海パルプ㈱に商号変更)であるが、大倉はその前年には徳山村地名(じな)で水力発電を行うために、大井川の分水工事を町井雄一郎(明治33年6月~同37年6月,六合村長)・村松孫平から譲り受けている。その際の静岡県知事あて願い書が下記である(原文カタカナ。適宜、漢字も平仮名にし、句読点を補った)。
「大井川分水工事譲り受け渡し願い」
明治32年9月中、町井雄一郎・村松孫平、両人の名義をもってご許可を得居り候う県下志太郡 徳山村地名における大井川分水工事、今般大倉喜八郎において該分水を利用し、製紙事業あい営み候う目的確立し、事業経営したく候につき、町井雄一郎・村松孫平より大倉喜八郎へ該工事に係る権利義務一切を譲渡し、大倉喜八郎においては御庁より命令の条項、及び今後のご命令、一切遵守つかまつるべく候う間、該工事譲り受け渡しご許可なしくだされたく、双方連署し、この段願いたてまつり候うなり。
明治39年3月1日
静岡県志太郡六合村細島1番地 町井雄一郎 同県周智郡飯田村飯田14番地 村松孫平 東京市赤坂区葵町3番地 大倉喜八郎
静岡県知事 李家隆介(りのいえたかすけ)殿
この文書は私には長い間、謎でした。というのは、大井川の分水工事を大井川水系の六合村の町井雄一郎が行うのは分かるのですが、遠く離れた太田川水系の飯田村の村松孫平が連署しているのは何故?ということです。
この謎が堀内良さん(中42回卒)の『冀北学舎』(平成10年刊)巻末の卒業生名簿で解けました。そこには「周智郡飯田村飯田 村松孫平 旧 町井一郎」とあったのです。
さらに『嶽陽名士伝』「村松孫平君之伝」(明治24年刊)を見ると、村松孫平(慶応2年=1866年生まれ)は六合村細島の町井平四郎(天保10年=1839年生まれ)の次男でした。町井平四郎は明治22年4月~同26年4月の間、六合村長を務めていますから、確証はありませんが、町井雄一郎は町井平四郎の嫡男で、村松孫平の兄なのでしょう。
(『六合村誌』によると、六合村細島1番地の町井七之助が日露戦争で戦死しています)
まさか冀北学舎の調査が自分の勤務する会社のルーツの解明につながるとは思ってもいませんでした。
また、先代の村松孫平(同名)が明治17年(1884年)に設立した飯田銀行は、昭和5年に袋井銀行・森町銀行と合併して中和銀行となり、中和銀行は昭和14年に静岡三十五銀行に買収され、静岡三十五銀行は昭和18年に遠州銀行と合併して、現在まで続く静岡銀行(私の前の職場)になっています。遠州のど真ん中にある飯田銀行・袋井銀行・森町銀行が、遠州銀行ではなく静岡三十五銀行と合併したのは少し不思議な気もしますが、この3行は設立当初から静岡三十五銀行とのつながりが深かったようです。
遠州のど真ん中を走る秋葉馬車鉄道(袋井⇔森町)が遠州鉄道でなく、静岡鉄道秋葉(あきわ)線となったのも、この件と何か関係があるのかもしれませんが、まだ調査が及んでいません。
なお、現在の静岡銀行袋井支店は、資産銀行袋井支店→遠州銀行袋井支店→現在。静岡銀行森町支店は天宮銀行本店→遠州銀行森町支店→現在という沿革です。
また、町井平四郎が明治14年(1881年)に設立した藤枝銀行は、昭和5年に焼津水産銀行が買収し、同行は昭和7年に廃業しています。
周智郡飯田村(現.周智郡森町飯田)は村松姓の多い所で、村松梢風(小説家。『私、プロレスの味方です』でデビューして売れっ子作家となった村松友視は孫)も飯田の出身です⇒飯田ご出身で八王子市にお住まいの唐沢(鈴木)令子さん(高26回卒)からご教示いただきました。
ところで私の前の職場である静岡銀行は100以上の銀行が合併を繰り返して成立していますが、その大きなルーツの一つに明治6年設立の資産金貸附所があります。ご存知の方も多いでしょうが、資産金貸附所は安政元年(1854年)に岡田佐平治(岡田良一郎の父)が献金した金百両の報徳金にさかのぼります。資産金貸附所は明治26年に資産銀行と改称し、大正9年に西遠銀行と合併して遠州銀行になり、昭和18年に静岡三十五銀行と合併して静岡銀行になっています。
平野繁太郎(1891~1993)は「東京の横須賀藩士たち(3)」に出てきた平野又十郎(西遠銀行の設立者)の子ですが、1949年~1970年の21年間、静岡銀行頭取を勤めた後、1975年まで同行会長、さらに亡くなるまで同行相談役を勤めていました。また最晩年の1972年~1993年(80歳~101歳)の20年間、特種東海製紙㈱のもう一つのルーツである特種製紙㈱の取締役を勤めており、浜松から静岡(静岡銀行)・三島(特種製紙)へ新幹線で通っていました。
特種製紙㈱(現.特種東海製紙㈱三島工場)本社棟が3階建てなのにエレベーター付きなのは、平野が階段を使わなくても良いように設計したためです。 何となく話が一回りしたので、これで終わりにします。